ピグー厚生経済学では、主観的満足(経済的厚生)の社会的総量(総和)が社会選択の判断基準とされるため、①分配的正義が考慮されない、②主観的満足タームであることから個々人の客観的境遇が反映されない、という批判がある。これらはピグー批判としては定番のものである。これに対して、本研究は、ピグーが経済的厚生(と限界効用逓減)に基づく原理以外の分配原理をも採用していたことを明らかにした。それは、端的にいえば、「必要充足」に基づく分配規準である。この点は、従来の国内外のピグー研究においては全くといえるほど追究されていなかった。本研究は、この論点を掘り下げて、ピグー解釈の新しい側面を追求した。 また、従来のピグー研究(理論的および倫理的側面)をサーヴェイし、現時点でどこまで追究されているか、それらの先行諸研究の意義、および今後求められる展開に関して、考察した。経済学説史上のピグー解釈は、決して十分ではなく、何よりもピグー自身が潜在的に意図しようとしていたことが殆ど汲み取られていないのが実情である。巨人マーシャルと弟弟子でありながら論敵となったケインズとの間に埋没してしまったかのように解される傾きもある。今後、ピグー研究にとって、最も重要なことは、ピグーに内在的な観点、つまり、ピグー本人が意図(ないし暗黙裡・潜在的に意図しようと)したことは何であるかという観点から、彼を読み直してゆく姿勢である。ピグーの真価を正当に評価するためにも、我々論評者がそうした観点に立つことが肝要であることを示した。 以上の諸成果は、国内外のセミナーおよび論文を通じて公開された。
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