研究課題/領域番号 |
24530221
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研究機関 | 大阪商業大学 |
研究代表者 |
森岡 邦泰 大阪商業大学, 経済学部, 准教授 (90268293)
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キーワード | 経済思想史 / 啓蒙 |
研究概要 |
研究実施計画に記したとおり、グラスゴー大学のクリストファー・ベリー名誉教授を招聘して、専門的知見の国内への紹介に努めた。ベリー教授はスコットランド啓蒙の泰斗であり、しかも2012年に2冊の研究書(うち1冊は編者)を出したばかりであり、時宜を得た招聘といえよう。以下のように計6回のセミナーを開いた。2月27日 ’The Idea of “Civil Society” in the Scottish Enlightenment’ (京都大学)。3月1日 ’Adam Smith: Freedom, Modernity and the Virtues of Commerce’ (関西学院大学)、3月4日’Adam Smith on Liberty and Modernity’ (岡山大学)。3月6日 ’Hume on Commerce, Society and Ethics’(大阪商業大学)。3月8日 ’Hume on Commerce, Society and Ethics’(東洋大学)。3月12日 ’Civil Society and the Scottish Enlightenment’(立教大学)[ただし12日は立教大学と共催]。 これらのセミナーでは商業社会、市民社会、アダム・スミス、ヒュームなどのテーマについて活発な議論が行われ、我が国の学界の知見の向上に貢献できた。 さらにルソーとプーフェンドルフの研究を行った。これにより西洋啓蒙思想のより深い理解に到達した。 以上の知見を生かして、同時に同時代の日本経済思想の研究も行った。18世紀後半の日本思想を日本の啓蒙と見る見方もあるので、同時代の西洋啓蒙との対比において、同じく商業社会に向かいつつ、それをどう認識したのか、その独自の意義を明らかにするよう努めた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
実施計画通り、25年度に海外の研究者を招聘して、セミナーを開くことができた。招聘したクリストファー・ベリー名誉教授(グラスゴー大学)を迎えて、京都大学、関西学院大学、岡山大学、大阪商業大学、東洋大学、立教大学(共催)で、セミナーを開き、さまざまな分野の参加者を得て、実りある議論ができた。このセミナーとベリー教授の近著Idea of Commercial Society in the Scottish Enlightenment, Edinburgh UP,2013 により、近世日本社会を見る新しい視点を獲得した。 またルソーとプーフェンドルフに関する論文を執筆したので、刊行年月は現在不明であるが、近い将来、共著の図書の形で出版される予定である。この論文においては、プーフェンドルフのエンティア・モラリア論に着目し、ルソーとの関係について論じた。 さらに18世紀日本の和算家・本多利明について、研究を重ねた。本多についてのこれまでの研究は、本多を重商主義と規定して、その経済思想を問題にするものが多かった。しかし本研究では、従来あまり注目されることが多くなかったその開業思想を検討した。本多はいわゆる鎖国の時代にあって、日本が海外に進出し植民と交易を行えば、日本もイギリスと並び立つ大国になれると考えた。その前提には、人口法則がある。本多は奇しくもマルサスの『人口論』初版出版と同じ年に、マルサスと類似した人口法則を唱えた。マルサスの場合は、フランス革命の賛同者を批判するためのものだったが、本多は、人口法則ゆえ、国内の生産力をどう増しても、人口をまかないきれないので、海外の未開地帯の開拓と植民しか解決策はないとしたのである。本多は南洋の島や大陸も(それどころか北米大陸も)視野に入れたが、まずは現実的な政策として北海道の開拓を強く主張したのである。
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今後の研究の推進方策 |
ベリー教授の著作とセミナーに基づいて、18世紀後半以降の日本を商業社会と規定し、イギリスの商業社会論との比較において、商業社会論の枠組みの中で、その特質を探究したい。具体的には海保青陵と本多利明を取り上げ、従来の研究のように重商主義という枠組みではなく、商業社会の認識があったこととそれへの対応策としてその経済政策を位置づけたい。 もう一つの課題は、本多利明の開業論である。本多は蘭学書の翻訳と蘭学者との交流を手がかりに、西洋についての知識を深め、西洋のように日本が大国になるにはどうしたらよいかという問題意識の下に思索を重ねた、鎖国当時としては非常に珍しい思想家である。当時の経世家は大体が儒者であったため、絶えず道徳論に舞い戻ることが多かったが、本多は和算家であったためか、道徳論が一切ない。きわめて技術的な見地から富国策を説いている。 道徳臭がないということでは海保青陵も同様である。海保青陵は本多利明と違い、本職が儒者であって、藩儒になったことさえあったから、仁義を説かなかったことは、注目に価する。従来、海保青陵を徂徠の流れで理解する研究があったが、これは認められない。なぜなら海保青陵は、孔子さえまともに認めているとは思えず、孔子を認めない儒者が儒者であろうはずがないからである。徂徠は孟子は評価しなかったが、儒者として「論語」の注釈は書いている。まず海保青陵の儒者としての立ち位置を確認したい。その上で、青陵独自のイデオロギー論を研究したい。
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次年度の研究費の使用計画 |
海外研究者招聘のために予算を確保していたが、途中で立教大学と一部共催になり、立教大学が必要経費の半分ほどを負担してくれたので、当初の見込みよりかなり少ない支出ですんだからである。 25年度は海外研究者招聘のために、ほとんど予算を使い尽くす見込みだったので、必要な物品費の支出を抑えざるを得なかった。しかし2月末から3月前半の招聘の一月くらい前になって、立教大学が一部経費を負担してくれることになったので、必要な物品の購入に踏み切ることができるようになったが、招聘の経費がほぼ正確に判明した時点では、科研の年度末報告を出さなければならず、新たな物品の購入ができなかった。その分が26年度に回る予定である。
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