本研究は、太平洋戦争期の国家総動員諸計画の根幹となった物資動員計画を中心に戦略的自給圏構想とその実態を解明することであった。計画の立案に当たっては、海上輸送力を最大限に効率化し、最短輸送ルートの模索、鉄道輸送との連携強化によって大陸や南方物資の輸送可能量を算定し、その枠内で最重要物資を中心に輸送計画が策定されていた。それは日本、「満洲国」、「中華民国」、南方軍政地域で策定された資源開発計画や、「物資交流計画」と一体の形で「大東亜共栄圏」の総動員計画をつなぐ計画でもあった。 これを基に国内での生産計画、在庫取崩、資源回収計画を総合して最大供給計画を立て、最重点需要先に配給計画を策定する全過程を解明した。供給計画の分析では、アジア全域における資源外交の成果や、軍事占領と統治戦略が反映されていることが判明した。配給計画の分析を通じては、日本本国と植民地・占領地域の開発と防衛構想が解明され、陸海軍の兵備計画となる軍需動員計画、基礎産業の設備能力を決定する生産拡充計画の基本条件の推移が判明した。さらに、物資動員計画を基礎に成立する資金統制計画、労務統制計画等を束ねる総合戦略構想の推移や、共栄圏構想の経済的内実を解明した。 また、こうした動員計画の推移は、東條内閣の瓦解、敗戦の受け入れに至る一連の政治過程とも密接に関わっていたことを明らかにし、政治・外交史研究にも新たな視点を提供したと考える。 さらに、本研究ではこうした総合戦略を20世紀の資源安定開発構想のなかで俯瞰することもできたと考える。海上輸送計画、資源開発輸入計画と国内物資動員計画が緊密に関連して安定自給圏を目指した構想は、資源安全保障体制として1960年代以降、経済大国化の道を進む中で再び台頭しており、世界の経済秩序形成の歴史を概観する上で、一定の貢献があったと考える。
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