「病院の世紀」が終焉を迎え、在宅療養が推進されるようになった時代においては、病いをもつ人が、在宅療養を支援する制度的サービスの助けを借りて生きる人生をいかに作っていくかがきわめて重要であり、それに対してナラティヴ・アプローチが貢献する部分が少なくないことが明らかになった。 たとえばALSの場合、医療技術の発達によって、おおよそ1980年代ごろを境に「三年ほどで死を迎える」という言説の信憑性がゆらぎ、長く生きる可能性に注目が集まるようになる。このとき、ナラティヴ・アプローチは、社会の移行的であるがゆえに分裂的な情況が、データ(患者の語り)の中に反映し、迷いと逡巡として観察できることを明らかにできた。これは、とりもなおさず支援の必要性、規範的な正当性を支持する。つまり、語りの内部にゆらぎを抱え込むような患者の自己はきわめて不安定であり、自己決定を任せるには脆弱である。このことこそが、患者の苦しみに他ならないのである。したがって、不安的な物語に聞き手の関わりを抜きにして、ただ医療的手段や福祉サービスを選択肢として用意すればよいということではなく、物語の語り手/聞き手の関係性のもとで、快適な生存の可能性を拡げていくことが重要となる。 このような語り手/聞き手の関係性については、「混沌の物語」(アーサー・フランク)を聞き手が受け止めるという関係性と、聞き手が物語の変化を促す関係性とがある、ということは既に申請者による(アルコール依存や吃音などの)セルフヘルプ・グループにおいて観察されたことである。難病の場合、これと同様の二側面が、セルフヘルプ・グループ、あるいは個人対個人のピア・サポートの場面においても、ゆらぎの中から生きる物語への変化を模索するという特徴的な文脈のもとで観察できることが明らかになった。
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