日産自動車の1945年の敗戦から49年の人員整理までの時期を対象に、新しい労使関係のあり方が経営に与えた影響について三点を明らかにした。第一に配置転換の登場である。労働組合は配置転換の実施による危機突破を主張し、会社側もそれに呼応した。しかし、その実施は組合員の生活不安をもたらし、組合としては配転規制に転換した。第二に、こうした配転規制や採用規制は経営にとっては障害となり、労働協約の空隙をつく形で臨時工が導入されることになった。あくまでの協約の外にある人員として、組合からの規制を逃れることができたのである。第三に明らかにしたのは、戦後直後には積極的に女性の採用を行っていたことである。
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