研究課題/領域番号 |
24530672
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
花井 みわ 早稲田大学, 社会科学総合学術院, 准教授 (70578476)
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研究期間 (年度) |
2012-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | 満洲国 / 満洲国間島省 / 満洲国学校教育 / 満洲国新学制 / 延辺朝鮮族自治州 / 近代教育 / 社会上昇 / 地域社会 |
研究実績の概要 |
本課題は、満洲国間島省(現在の中国吉林省延辺朝鮮族自治州のほとんどの地域)の学校教育制度がどのような歴史過程を経て形成されたかを間島地域社会の変容と、朝鮮人の近代教育の受容の両方向から総合的に明らかにする。 今年度は、1938年満洲国新学制実施以降、当時の満洲国間島省の人口8割を占めた朝鮮人初等教育と中等教育の展開を調査研究した。新学制実施に関する歴史文献資料の再検討と考察を行った。北京・天津・延辺に行って、1938年以降満洲国学校教育体験者に対する聞き取りを実施した。文献資料の再考察と聞き取り調査を通して、新学制実施によって間島省の学校教育は拡充し、人々の近代教育受容の欲求と満洲国側の教育を通しての国民教化の目的が同床異夢として展開されたことが明らかとなった。 新学制実施後、間島省の朝鮮人私立小学校と中学校は公立学校に改編され、教育経費は国庫と地方費の協働負担になった。学校の人件費は国庫負担に統一され、教員は資格がある教員が担当し、学校設備は改善された。通学利便性を考慮した間島省立国民高等学校と女子国民高等学校が数校新設された。朝鮮人は、日本の傀儡国家である満洲国の教育に対して心の葛藤と抵抗があったが、近代教育受容の対償としてそれを受け入れる選択をした。 間島省朝鮮人小学校就学率は1939年に60%を超え、女子の中等教育も発展した。満洲国の女子教育の目的は「良妻賢母」の育成であるが、教育を受けた女子は近代教育を受けて安定した職業に就き、経済的に自立した女性になる目的を持っていた。1940年頃、間島省には女子教員以外、女子の会社員や銀行員などが現れるようになった。 満洲国の国家的事業として展開された新学制によって間島省の教育事業は発展し、朝鮮人は近代教育としてそれを受容し、学校教育を社会上昇のルートとして受け止めていたことを明らかにしたことにおいて本課題は重要な意味をもっている。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
満洲国間島省の学校教育に関する歴史文献資料の収集を行い、1938年満洲国の新学制実施直後、間島省において学校教育を受けた教育体験者に対して聞き取り調査を行った。
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今後の研究の推進方策 |
歴史文献資料を再考察し、満洲国間島省の学校教育制度の成立が地域社会に与えた影響を検討する。
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