本研究は、2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災地復興における学校の役割を考察しようとするものである。その際に学校を中心とする地域コミュニティとその地域の社会関係資本に注目する。今年度は、地震発生時に避難所となった南三陸町の小学校に焦点を当て、関係者へのインタビューや収集資料を基に、その避難所の成立から閉鎖までの足跡をたどり、避難所の果たしや役割を検討した。 地震発生時、南三陸町には複数の避難所が設立されたが、その中でA避難所には自治会が組織され、行政や学校と連携しながらも、避難者による自主的な運営がなされた。こうした運営を可能にしたものは何だったのか。そして、避難所の運営はどのようなものであったのか。A避難所自治会の会長、副会長など、中心となって避難所を運営した人たちや避難者にインタビュー調査を実施した。 インタビューデータや収集資料から明らかになったのは、避難所の成立から閉鎖までにはいくつかのフェーズがあり、そのフェーズごとに組織の構造や、運営者側と避難者側との関係や、避難所と外部組織との関係などに変化が生じていたことである。そして、避難所自治会で培われた人間関係が、避難所が閉鎖した後も、被災地復興の中心となっているということである。
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