研究課題/領域番号 |
24531131
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研究機関 | 和歌山大学 |
研究代表者 |
菅 道子 和歌山大学, 教育学部, 教授 (70314549)
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キーワード | 絶対音感教育 / 1930~1940 / マスメディア / 私的教育と公的教育 / 学校音楽 |
研究概要 |
平成25年度には1930~40年代の音楽文化状況の中で絶対音感教育がマスメディアとのかかわりの中でどのように私的な教育システムから公的な教育システムとなっていたのか、その過程を次の2点から辿った。 (1)雑誌メディアの中で展開した学校音楽実践については、東京の訓導たちが中心に組織した学校音楽研究会の機関誌『学校音楽』と出版社シンキョウシャが発行した『楽苑』(1935(S10)年4月~1940(S15)年2月)の記事内容から実態把握を行った。それによれば学校教育現場に近い『学校音楽』に記事を寄せる訓導たちは、児童の生活の中から音楽を生み出す必要性を論じて唱歌と玩具を用いた器楽指導を推進した。他方『楽苑』に記事を寄せるピアノ教育家笈田光吉、訓導酒田富治、佐々木幸徳は絶対音感訓練による系統的音楽教育の必要性を主張して実践を試みた。絶対音感教育は個人のピアノ教育から学校での集団教育へと展開することで一躍脚光を浴びるようになったものの、『学校音楽』の関係者は、専門教育から生まれた絶対音感教育に批判的であり両者は対立し、大規模な普及をみることはなかった。 (2)しかし、酒田、佐々木等の絶対音感教育実践に触発された佐藤吉五郎は、大阪府堺市の5園の幼稚園と20校の小学校で1937(S12)年~1942(S17)年の期間、絶対音感訓練を実施し、年間2万人近い幼児・児童の絶対音感教育を実現させた。この背景には、鋭敏なる聴覚訓練を国防教育思想と関連づけ、公立学校において一斉実施することで、その教育システムに正当性が付与されたこと、またレコード、ラジオ、映画によるプロヴァガンダを推進したことで教育システムの正当性はさらに強化され、他の場所への影響力を蓄えていったことがあげられる。鳥取師範学校の卒業生であった有本瞳日月氏の卒業論文の中にも堺市絶対音感教育の実践が反映されていたことは、その証左の一つであった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究は、1930年代から1940年代にかけてのメディアの発達により展開した音楽文化の大衆化が、学校音楽文化の形成に何をもたらしたのか、またそれらは教育の担い手となる教師、また子どもたちの相互作用の中でいかに受容され、さらに新しい音楽文化として発信・創出されていったのか、そのプロセスと特質を明らかにすることを目的とするものである。この目的を検証するために設定した課題4点のうち、H25年度は前年度からの継続 である1.2.とともに4.の具体的課題を設定した。 1.1930~40年代の学校音楽にかかわる雑誌・音楽メディア等の状況把握と教師の教育研究や学校音楽文化への影響について把握すること。 2.1930~40年代にかけての特徴的な音楽科の指導内容の内実を把握すること。 4.1.で把握したメディアに関連した音楽文化と2.で把握した教科内での音楽活動との関係構造について解明すること。 このうち1.2.については1930年代に発行された雑誌『学校音楽』とともに、音楽出版社の発行する雑誌『楽苑』の収集・データ化を進めた。また1930年代を代表する記事内容内の絶対音楽教育の扱われ方を比較し考察を加えた。 4.に関連して、ここでは絶対音感教育がピアノの私的教育から学校での公的教育に転換することで教育システムとしての正当性を付与されたこと、マスメディアによる伝播によってさらなる正当性の強化が図られていったこと等を、東京、堺、鳥取の事例から辿り、メディアと学校音楽の関係構造の一旦を明らかにすることができた。このことでおおむね研究目的の達成に向けてH25年度の課題は達成していると考える。
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今後の研究の推進方策 |
今後の研究としては、研究の課題1.2.を引き続き実施するとともに3.4.について積極的に実施していく予定である。 1.東京の尋常・高等尋常小学校訓導を中心に組織された雑誌『学校音楽』、東京音楽学校の関係者を中心に組織された雑誌『教育音楽』、留学経験をもつ音楽教育家、音楽家たちを中心に組織された『楽苑』それぞれの雑誌内容の把握と比較を通してメディアから音楽家が何を発信し、音楽文化を形成しようとしていったのかを検討していく。 また、雑誌以外の学校音楽に関係するマスメディアとしてレコード、ラジオ、映画などの活用の実態や学校音楽との関係について資料取集とデータ化を進める。 2.音楽科の指導内容として簡易楽器指導、音感教育、唱歌教育の発声法などの実践を取り上げ、そこから西欧音楽の受容と専門化、音楽の大衆化、音楽の手段化等1930~40年代の音楽教育の特徴を読み解いていく。 3.1930~40年代にかけての特徴的な教科外活動における音楽活動の実態把握とその特質を明らかにしていく。これについては、1930年代半ばに設定された報国週間において、国家統制と思想教化の媒体として音楽活動、教育活動がどのように扱われていったのか、特にブラスバンドや喇叭鼓隊の活動の実態解明とともに、大衆音楽文化との接点を探っていく。 4.1.2.3を踏まえてマスメディアの発達による音楽文化の大衆化、思想教化の道具化は学校音楽文化とどのような接点、関係構造をもちながら展開されていったのか、特質は何であったのかを解明していく予定である。
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次年度の研究費の使用計画 |
H25年度の予算執行では残額が発生した。これはH26年1月から3か月ほど治療・療養を必要とする状態となり、調査出張できず、また作業も若干できなかった部分があるためである。これらについてはH26年度の研究費の使用計画の中で再度計画し、執行する予定である。 H26年度下記の予定で研究費を使用する。1)物品費については、関係文献、雑誌資料、教科書、音源などの収集のために使用する。2)旅費については、東京、大分県、鳥取等、絶対音感教育、簡易楽器指導、発声法指導の実態調査のために使用する。また、これらの成果の一部を学会発表する予定である。3)人件費・謝金については、資料のデータ化とインタビューの記録のために使用する。4)そのほか、複写、ファイルなどの文具類、オーディオ・パソコン関連の消耗品等に使用する。
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