1930年代以降のメディア発達によって音楽文化や学校にもたらされたものは次の通り。 (1)音楽家の笈田光吉等は、西欧に比肩する音楽文化創造のため個人のピアノ教育として絶対音感教育を生み出した。(2)東京市小学校でも「団体教育」として絶対音感に基づく和音唱が試みられ、国防とも結びつき「芸能科音楽」に取入れられた。即ち絶対音感教育は、私的から公的な教育へと場を移したことで正当性を付与され影響力も増したのだった。(3)音楽家も教育音楽家もグループの機関誌や楽譜、著書により情報を発信した。1930年代の出版メディアは為政者の思想教化の道具としてだけでなく、個々人が主体となる意見表明の媒体にもなり得た。
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