前方や後方,上下など,さまざまな方向からの音を再現する立体音響を実現するためには,人間の頭部伝達関数を推定する必要がある。従来,音響信号処理の分野では,TSP(Time Stretched Pulse)信号を用いて頭部伝達関数を求めていたが,この方法では多方向の頭部伝達関数を一つひとつ測定しなければならず,測定に長時間を有していた。本研究では,多変数システム同定理論を用いて頭部伝達関数を推定する方法について研究し,以下の成果を得た。 まず,NHK放送技術研究所において57方向の三次元空間多方向同時同定実験を行い,得られたデータを解析した。音源から片耳までを多入力1出力システムとみなして,予測誤差法の一種である最小二乗法を用いて頭部伝達関数を推定した。その結果,音源から反対側の耳までの推定精度が少し不足することがわかり,頭部伝達関数の線形補間を用いた正則化項を最小二乗法に導入した「正則化最小二乗法」の適用を行い,精度の向上を図った。 つぎに,多入力同定実験を行うための入力信号の設計法を検討し,新しい入力信号設計法を提案した。この新しい入力信号を用いて,再度,三次元空間多方向同時同定実験を行って,得られたデータを解析した。その結果,従来,われわれが提案していた同定入力を用いた場合よりも高精度な同定結果が得られることを確認した。 最後に,パラメトリック頭部伝達関数を用いた頭部伝達関数の推定方法について検討した。この方法は,方向知覚の手がかりであるスペクトラルキューと呼ばれる量に着目し,これをスペクトルのピークやノッチをパラメータで表現したパラメトリックモデルで推定するものである。この推定法を実験データへ適用し,その有効性を明らかにした。
|