郡是製糸(株)では1925年頃女子寮舎の標準プランが確立されたが、1958年以降建設の女子寮舎の寮室には床の間がなく、収納棚が壁面一杯に造り付けられた。家庭寮の多くは1948年以降に建設され床の間をもっていた。寮舎内で起居を通して行われた「郡是教育」は、戦後の寮自治により寮舎外の家庭寮や教室へと場所を変えた。 東洋紡績(株)では1922年には「自修寮」(家庭寮)が設置されていた。1929年の深夜業廃止に伴う余暇時間の増加により裁縫教室や割烹教室が充実した。1935年に工場付設の女学校が青年学校へ移行されると当時の良妻賢母主義教育と合致し、自修寮実習もさらに活発に行われた。
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