研究課題
基盤研究(C)
急性呼吸窮迫症候群(acute respiratory distress syndrome, ARDS)は極めて死亡率の高い呼吸器症候群である。我々は、インフルエンザウイルス感染マウスARDSモデルを用いた解析の結果、活性酸素(ROS)や一酸化窒素(NO)の過剰な産生がARDS病態を悪化させることを明らかにした。一方、ROS・NOに依存して、NOの2次シグナル分子であるcyclic GMPのニトロ化体である新しい環状ヌクレオチド8-ニトロcGMPが生じ、細胞内蛋白質のチオール基にcGMPを付加する翻訳後修飾(S-グアニル化)を介して、酸化ストレス応答のシグナル分子として生体防御的に作用することも明らかにした。8-ニトロcGMPの低下をもたらす病態環境は、ARDSの重症化に寄与する可能性が示唆されるが、最近、硫化水素イオン(HS-)が8-ニトロcGMPを消去することを発見した。硫化水素はシステイン(Cys)分解の過程でcystationineβ-synthaseやcystationineγ-lyaseにより内因性に産生され、また、消化管内では嫌気性菌によって多量に産生される。重篤な病態下における硫化水素の生物活性は不明な点が多いが、蛋白異化亢進に伴なうCys分解、腎排泄の障害、病原菌自体による産生などが相まって血中濃度が増加する可能性が示唆される。硫化水素による8-ニトロcGMPの消去は、酸化ストレス応答の抑制を介しARDS病態の重症化につながると考えられる。本研究においては、3-ニトロチロシンや脂質過酸化物といった既存の酸化ストレスマーカーを網羅的に解析するとともに、血漿中の硫化水素イオン濃度を独自に開発した安定同位体希釈質量分析法を用いて測定し、ARDS重症化の新しいバイオマーカーとしての有用性と病態解明、新たな治療戦略の開発に向けた基盤的研究を推進する。
2: おおむね順調に進展している
インフルエンザウイルス(A/H2N2/Kumamoto/67)をC57BL/6マウスに吸入感染させ、ARDSの急性期(day 7)および線維増殖期(day 21)に肺組織および血漿を採取し、8-ニトロcGMPおよびS-グアニル化蛋白質の生成を、免疫組織染色とWestern blotにより解析した。その結果、ウイルス増殖の場である気道上皮細胞において8-ニトロ-cGMPが生成すること、さらに、蛋白質S-グアニル化を介してヘムオキシゲナーゼ-1等の酸化ストレス応答因子が誘導されることがわかった。次に、硫化水素イオンを高感度・特異的に定量分析する安定同位体希釈質量分析法を開発した。具体的には、血漿や組織破砕液に、monobromobimane(MBB, 5 mM)を加え、遠心分離上清を液体クロマトグラフィー質量分析器(LC-MS/MS)にて解析した。MBBと硫化水素イオンのアダクトであるBis-S-bimane、CysやGSH(還元型グルタチオン)、およびそのポリスルフィド体CyS-SH やGS-SHとのMBBアダクト(CyS-bimane、GS-bimane、CyS-S-bimane、GS-S-bimane)を測定した。それぞれの安定同位体を外部標準として添加・同時測定し定量性を確保した。その結果、マウスの主要臓器中にはGSHやCysの3-5%、血漿中では30-50%といった非常に高い濃度のポリスルフィド体が存在することがわかった。ヒトでもマウス同様高レベルのポリスルフィド体を検出した。感染マウスの解析では、肺組織破砕液中でCysやGSHが減少するとともにCyS-SHが増加し、一方血漿中のCyS-SHは減少することがわかった。以上より、インフルエンザ肺炎の肺局所で硫化水素がポリスルフィド体という形で産生され、ARDSの病態や酸化ストレス応答に関連している可能性が示唆された。
A. 動物実験:平成24年度で得られた解析データをもとに、硫化水素イオンドナーである NaHSをマウスに浸透圧ポンプにて持続皮下投与がインフルエンザウイルス感染マウスの病態に与える影響を解析する。次に、血漿中の硫化水素イオンを消去する方法を確立し、ARDSに対し治療効果を発揮するかについて検討する。止痢剤として臨床的に用いられている次没食子酸ビスマスは、腸内で硫化水素と反応して硫化ビスマス沈殿を生じ、これを消去することが期待される。そこで、まずマウスに次没食子酸ビスマスを経口もしくは注腸投与し、血漿中の硫化水素イオン濃度を MBB法にて測定し、最適かつ効果的な投与条件を求めるとともに、血中硫化水素イオンの抑制が ARDS 病態もたらす治療効果を解析する。B. 臨床研究:酸化ストレスバイオマーカーの研究用として、すでに書面にてinformed concentを得た上で集積・保存しているARDS症例(新型インフルエンザウイルス、高病原性鳥インフルエンザウイルス感染症を含む)の血漿サンプルを用いた後向き研究として、マウスで行ったものと同様、血漿中の硫化水素イオンおよびポリスルフィド体の定量解析を行う。これによって、血中硫化水素イオン濃度が、ヒトのARDSの重症化のマーカーとして有用である可能性が示唆されれば、明確なプロトコールを設定し、前向きの症例集積検討を行う。ARDSの診断のクライテリアは、アメリカ-欧州合意カンファレンスによる定義に基づき、ICU入室日、発症日から数えて7, 21日目の血漿と様々な臨床データ(病歴、基礎疾患、ヘモグラム、炎症所見、血液生化学、血液ガス、胸部画像所見など)を、書面にてinformed concentを得た上で集積する。
LC-MS/MS関連試薬として450(千円)、電気泳動関連試薬(Western blot、プロテオミクス用試薬など)として200(千円)、抗体関連(免疫染色・免疫沈降用抗体など)として200(千円)、試薬類(硫化水素イオン分析用試薬浸透圧ポンプなど)として200(千円)、国内学会発表等の旅費として100(千円)といった使用を予定している。
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