かつてチェルノヴィッツという街があった。1918年に第一次世界大戦が終結し、オーストリア帝国が崩壊するまで、この帝国の一地方都市だった。オーストリア領だったので、ドイツ語文化が支配していたが、ドイツ人より多くのウクライナ人、ルーマニア人が住んでいた。それ以上に、多くのユダヤ人が暮らしていた。歴史上、ドイツ-ユダヤ文化が真に実現していた街があったとすれば、それはチェルノヴィッツだ、とすら言われる。しかし、1918年以降はこの街はルーマニア、ソ連、ウクライナと属する国を替え、今日、多文化都市の面影を見出すことは難しい。本研究がこの街の過去とその文化へのオマージュとならざるをえない所以である。
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