性格が不一致ならそれは神が原初において定めた結婚の本義に反するので離婚は許されるべきだとミルトンは主張し、自らその傍証として様々な神学者の説を引用している。なかでも日本では国際法の父として知られるグロティウスについて、彼の新約聖書註解を要約しながら、グロティウスも同一の主張をしていると解説する。たしかにグロティウスはミルトンと同じく、聖愛の原理にもとづく解釈を提唱してはいるが、ミルトンの要約に反して、聖愛を重んじるなら、配偶者にたいして忍耐をもって臨むべきであると説明している。ミルトンによるこうした意図的な誤解釈の根底には、ミルトンが個人的な夫婦離別体験のさなかにあったことに加え、ミルトンが結婚を感情充足が保証される場として位置づけ、特殊な聖愛観を抱いていたと考えられる。この点をイギリスの主だったミルトン研究者が集まるミルトン・セミナー(第50回大会)で発表したところ、敬虔で正義を重んじる従来のミルトン像にとってかわる、自信にあふれ我田引水の論争家という新たなミルトン像を補強するものとして注目された。 夫婦が相互に抱く愛は他の愛とは異なった愛であり、性格の不一致があるなら離婚は可能という主張を、西洋で最初に明示したのは17世紀のミルトンであったが、この400年間における離婚観の歴史的検証、結婚観の再評価を行うために、社会学者・神学者・法学者・文学研究者を招いて、連続公開講演会を7回行い、現在の結婚観・離婚観に囚われているがゆえに生じる個人の幸福・不幸感は、実際には相対的事実であることを明るみに出していった。会場では研究者はもちろんのこと、学生、一般まで含めて活発な議論が巻き起こり、現代の結婚・離婚観から一元的に価値判断せず、柔軟に構える態度を啓蒙することができた。
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