本研究は当初、十三世紀初頭に北ヨーロッパで〈放蕩息子〉の寓話が俄に注目された背景に商業都市の興隆・繁栄を置き、商業に批判的なキリスト教モラルと都市民の奢侈・宮廷文化志向の相関関係から、この寓話に託された意味の変遷を辿ろうとしていた。ところが当時の都市文化の実態を探るため、文学・文化史や美術史の概観枠を超えて社会経済史の成果を吸収する過程で、この大前提が当時の社会的現実と大きく乖離することが明らかになり、計画は頓挫した。この寓話が最初に着目された十三世紀初頭の司教座都市は未だ小規模都市で、キリスト教勢力が農産物を巡る商業取引に勤しみ、同地の領主勢力と経済支配権を争っていたからである。そこで、研究計画を根本から立て直し、当時の経済史的実態に即して、この寓話が着目されるに至った理由、更には十三世紀を経過する中で生じた文学・文化・図像における〈放蕩息子〉現象の解明に焦点を絞る研究に切り換えたが、方法を確立するのに多大な時間を要し論文執筆が滞った。 最終年度の成果としては、中世貨幣史を参照しつつ、1)これまでのステンドグラス解釈で強調されてこなかった〈放蕩息子〉の農民出自及び当時の一部農民の富裕化と、彼らへの教会人・都市民の眼差しに着目し、図像に頻出する貨幣・交換表象から有益な知見を引き出す手掛かりを得たこと、2)この後に成立し、既に商業都市として知られたアラスを舞台とする放蕩息子劇を、貨幣・交換表象及び都市史の観点から論文に纏めたこと、3)八十年代ドイツの放蕩息子現象とも言える叙事詩『ヘルムブレヒト』を貨幣・交換表象に注目して分析し、貨幣表象の潜勢化と交換表象の過度の露出に身分社会の固定化をめざす作者の意図を探り当てたこと(論文執筆中)が挙げられる。今後は、貨幣・交換表象と社会的現実の関連を見据えるこの研究方法を同時代の他の緒現象の分析にも活用し、その成果を一冊の本に纏めたい。
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