研究課題/領域番号 |
24617024
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研究機関 | 帝塚山大学 |
研究代表者 |
王 冬蘭 帝塚山大学, 経済学部, 教授 (80319920)
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研究期間 (年度) |
2012-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 満洲 / 能楽 / 謡曲 / 撫順 / 能舞台 |
研究実績の概要 |
26年度は主に次の研究に力を入れた。 *「「満洲」の撫順における能楽―梅若流謡曲師範梅田富三郎親子二代を中心に―」という研究テーマについて、詳しく調査、確認、論文をまとめた。その論文は、『藝能史研究』209号に掲載。終戦まで、「満洲」の撫順という都市の日本人社会において、能楽の梅若流は頻繁に活動を行い、その上、「梅田舞台」という常設能舞台も造り、数多くの愛好者を持っていた。梅若流の能楽活動は、当時の撫順における能楽の中心的な存在であり、また、当時の満洲全域の能楽活動においでも重要な存在だった。その活動は、一九一六年に当時の梅若六郎(54世)から派遣された梅若六郎家の代理師範である梅田富三郎を中心として展開した。梅田富三郎は当時の梅若六郎家、後の梅若流宗家と始終繋がりながら、謡曲師範として、三十年間近く撫順に滞在し、謡曲指導及び能楽活動をした。梅田富三郎の長男梅田正太郎も第二世謡曲師範として現地で活動をした。本研究は撫順における梅若流の活動の展開、具体的には、謡曲師範梅田富三郎と梅田正太郎及び梅田宅にある常設能舞台「梅田舞台」について考察し、終戦までの撫順における梅若流の活動実態を把握することを目的とする。資料調査や撫順における梅田舞台の場所を確認するために、撫順市や当時梅田舞台のすぐ近所に住んでいた現在北九州に在住の関係者に尋ね、当時の梅田舞台に関する事情や活動実態をはっきり分かるようになり、論文をまとめた。 *「戦前、満洲あたり(中国東北地方)における梅若流の能楽活動」と題して、藝能史研究會9月例会で報告した。また、「満洲における梅若流―謡曲師範や謡曲社中を中心に」と題して、近現代演劇研究会(大阪大学)で報告した。以上の研究は、梅若流の満洲あたりの活動の全体像を追及するものである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
現在、続いて全体のテーマである「満州における日本演劇「能楽」の活動実態調査研究」の中のいくつかの具体的なテーマを研究している。「大連にあった幻の能舞台―一九四五年まで現地における能楽活動の場所を中心に―」、「「満洲」の撫順における能楽―梅若流謡曲師範梅田富三郎親子二代を中心に―」という二本の論文は『藝能史研究』205号、209号に掲載された。「戦前、満洲あたり(中国東北地方)における梅若流の能楽活動」や「満洲における梅若流―謡曲師範や謡曲社中を中心に」について学会で口頭報告してから、論文をまとめている。また、「満州における宝生流の活動」、「植民地における能楽活動と戦争」などの研究テーマを確定し、資料調査しているところである。 しかし、研究は予定よりやや遅れている。理由としては、授業担当等の関係で、現地調査の時間を十分に確保することができなかったためである。
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今後の研究の推進方策 |
研究を展開することに従い、具体的なテーマも新しくいくつか確定してきた。また、資料調査により、植民地台湾においても能楽活動が盛んに行なわれていたことがわかる。植民地における能楽活動の視点からみれば、満洲における能楽活動と台湾における能楽活動は関連がある。この植民地における能楽活動の歴史は、日本国内の能楽史と切り離すことができないもうひとつの近代能楽史であると考える。今後、この視点から研究を進めたい。資料調査や調査した資料を整理、まとめることにもっと力をいれる。また、論文をまとめ、社会に発信することに力をいれる。
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次年度使用額が生じた理由 |
授業の関係などの原因で、現地調査などを計画通り実施することができなかったため。
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次年度使用額の使用計画 |
資料調査現地調査のための旅費、図書、資料購入、文献複写代などを計画している。また必要に応じて研究協力者への謝礼などの支払いを計画している。 合計70万
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