ギリシア音楽のレベーティコにはオスマンや南スラヴの要素がある。1913年にギリシアに併合されたテッサロニキでは、ギリシア人・ユダヤ人・ムスリムのあいだで、相互作用があったことを窺わせるような資料もあるが、ローザ・エスケナージなどユダヤ系歌手は、ラディーノ語による録音を残していない。 アメリカのギリシア人移民はしばしば、東欧ユダヤ人と音楽を共有していた。これは音楽家が異種間で積極的な活動をしたというより、民族横断的なレコード産業があったこと、ギリシア人とユダヤ人が両者とも、録音や公演のさいパートの欠員が生じると、音楽家を融通しあっていたことなど、必要に迫られる場合があったことに負うところが大きい。
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