2013年度の研究計画・方法に則して、実績を示すことにする。 (1)本研究の最大の課題は、天理側の非公開資料の開示を求め、その資料に基づいた実証研究のうえで、「総督府主導の植民地医学」、「キリスト教の宣教医療」、「日本宣教医療」という三者関係に関する仮説を提示することであった。しかし、天理側との交渉はうまくいかず、非公開資料にアクセスすることはできなかった。 (2)一方、韓国側の天理教研究者とは会議を重ね、韓国での資料調査を行ったが、韓国側に植民地期朝鮮民衆の天理教医療観を示唆するような非公開資料を発見することはできなかった。 (3)公開資料から、三者関係について、いくつかの事実が判明した。 1.少なくとも1920年代まで、天理教による医療宣教に対して、総督府は警戒していた。1922年の平壌での腸チフス流行に対して天理教は救護団を派遣するが、伝道の禁止が条件とされていた。一方、朝鮮での資料には現れないが、1942年になると日本陸軍が天理教本部に対して中国での病院経営を依頼している。朝鮮と中国では全く状況が異なり、時代も異なるが、軍、総督府、天理教医療の複雑な関係について考察すべき資料が発見できた。2.天理教医療に、西洋医学や伝統的漢医学とは異なる医学体系があったわけではない。しかし、「看護婦」、「付添婦人」の看護が強調されており、非天理教との医師と看護婦の仕事が批判されている。「医師や職業看護婦が見捨てた重症患者を救う」という物語が宣伝されている。3.何点からの資料から、朝鮮人患者が「日本の神様」に救われたと述べたことが天理側の資料に記述されている。
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