本研究は長崎県の伝統的三大神楽である平戸神楽、壱岐神楽、五島神楽の誕生とその発展過程について、16世紀の長崎におけるキリスト教の布教と受容、その急速な広がりへの対抗措置として形成・強化されたものと位置づけをし、文献調査およびフィールド調査を中心とした比較研究を行った。長崎におけるキリスト教の布教は16世紀の南蛮貿易と世界システムとセットで平戸に入り、貿易の拡大と共に短期間に一大勢力として各地域へ浸透した。スペイン、ポルトガル、中国、オランダ、イギリスに対して自由港市として開港していた平戸藩は、全国神楽調査に着手し独自の平戸神楽を編み出し、神楽を長崎北部一帯と五島列島へと広げた。カクレキリシタンの「神社は持っても神楽は舞わない」との言説は、神楽支配へのキリシタンの抵抗の一端と考察した。平戸藩による五島列島一円の「支配体制」のシンボルとしての「平戸神楽」は九州北部の広大な海域を含む領域支配のための権力正統化機能を果たしてきた。 また、平戸を中心とする現在の長崎県北地域おけるキリスト教の受容過程の研究の前提作業の意味もって、布教する側であるヨーロッパの当時の状況を、主として、その精神史な視点ないしは科学史的な視点から考察した。当時のヨーロッパ自体も、ルネサンス人文主義の影響そして宗教改革という変動期をへた時代にあたり、情報革命と呼びうる印刷革命を媒介として、新たな「世界観」をもとに、近代科学的思考が芽生えつつ、近代主権国家の成立を要素とし、それらが相互に関連性を持ちながらヨーロッパ近代が形成されつつある時期であった。これらの諸要素が、地球規模での経済ネットワークの形成過程の中で、同時に、伝わってきていたと考えられる。さらに、このヨーロッパ近代の成立過程において、出版の自由が認められ宗教的寛容が保障されていたオランダの果たした役割の大きさが注目され、平戸において具体的に確認された。
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