本研究は、キリスト教が推奨する援助行為を、知覚と行為という観点から再定義することを目的とする。こうした観点から見た時、新約聖書が示す援助行為は、行為の選択肢が極端に狭められている人間の行為可能性を回復し、また増大するための援助と解される。これは援助行為を他者への共感や模倣に根拠づける今日の発達心理学とは異なる方向性の理解である。生態心理学に基づく諸実験結果を参照するならば、こうした援助行為を可能にするのは、他者の行為を「充たされざる意味」として知覚することである。同時に、目的によって分節化される行為の「意味」は必ずしも自明ではなく、他者との相互行為のなかで作り上げられていくことも確認された。
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