平成26年度は、末松謙澄「大征服者成吉思汗は日本の英雄義経と同一人なること」(『義経再興記』)を黄禍論・アジア主義との相関関係を考察した。『義経再興記』出版時の末松の沈黙に関しては、日露戦争後、日本の「汎アジア的連盟の組織化」という視点から、《義経=ジンギスカン》説を《黄禍論》を喚起する説として欧州で非難が起きた時の打ち消し役が末松だった。内田弥八訳『義経再興記』の出版に関して、末松が沈黙を守ったことで、小谷部全一郎は、外国人も認める《義経=ジンギスカン》説として主張できた。また、森鴎外の「人種哲学梗概」「黄禍論梗概」によって、日露戦争前の《義経=ジンギスカン》説が、ドイツ皇帝ヴィルヘルムⅡ世の「黄禍の図」に対する人種間戦争の旗頭として機能したこと、奇矯とも思える小谷部の日本人起源説《日猶同祖論》も「西教の原理は我神道とその趣を同じふす」(『日本及び日本国民之起源』)という神学の一致から、「白人」への劣等感を乗り越える方法であったこと、《貴種流離》譚・《判官贔屓》説の膨張が、他民族の歴史と自己同一化することを可能としたこと、民族意識と深く関わることで、小谷部の《義経=ジンギスカン》説が「成吉思汗第二世が旭日昇天の勢を以て再び日東の国より出現するは蓋し大亜州存亡の時機にあるべき耳」(『満州と源九郎義経』)と、アジアの危機的状況の中で、「白禍」と戦う日本が大陸を渡り、《義経=ジンギスカン》後裔の清朝を「満州国」として再興、「白禍」米英との戦いに備える「大東亜共栄圏」の思想と深く結びつく。さらに、東洋から「世界統一の君主」出現を期待する英国人(宮地厳夫「外人の問に答へたる神道」)を伝える《宮地神道》と、「義経の霊」(=「ジンギスカンの霊」)による導きという「天祐霊導」の《霊学》的確信が、小谷部の《大アジア主義》であり、人種戦争の大義《義経=ジンギスカン》説であったと結論づけた。
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