本研究の目的は,「書と建築」というテーマのもと,建築家であった白井晟一にとって書を書くことがいかなる意味を持っていたのかを考察することであり,白井における建築に関わる活動と書に関わる活動の相関関係を究明することであった。 最終年度の平成26年度には,まず白井の建築作品に関する研究として,前年の床の間研究に関連し,白井による和室の空間構成上の特徴を天井の形状に着目して考察する研究をまとめた。白井和室における天井の断面形状は既存の形式を採用しており,そのパターンは早い段階で出揃っていた。白井の独自性はむしろ,その組み合わせに表れており,天井伏構成は年を追って多元化し,最後の「雲伴居」では最も複雑化した姿を見せた。 また,白井の書に関する研究として,初年度に行った資料の収集・整理をもとに,白井の著作にみる「習書」の意味について考察を行った。白井以外の事例として,吉田五十八,谷口吉郎,丹下健三といった同時代の建築家においても,書に関する著作が見られ,これらとの比較を通じて考察を行った結果,白井の習書における「行」としての性格が,その特徴として見いだされた。 さらに,白井の書と建築それぞれの活動の関連を考察する過程においては,白井の伝統論が重要な意味を持つことが認められた。白井は1950年代の伝統論争において,エッセー「縄文的なるもの」を発表し,時代の中心にいた丹下健三に影響を与えた建築家として位置づけられてきたが,その後の白井伝統論の発展経過を見渡すと,伝統は日本だけにとどまらず世界共通に求めていけるものだとする「伝統拡大」論を経て,1960年代には「ユーラシア的」なものに対する関心へと至っており,このことが白井を習書に向かわせる一つの原動力となった可能性が指摘できるのである。この点についても着目しながら,研究のまとめを行った。
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