アメリカ連邦最高裁が従来経済的自由の保護しか受けないとしてきたコマーシャル・スピーチ(営利的表現)をスピーチとしての保護を受けると判断して判例変更を行ったのは1975年のことであるが、この影響を受けて日本でも営利的広告が表現の自由の保障を受けるという学説が支配的となってきた。しかし、私はアメリカのコマーシャル・スピーチ論はアメリカの特殊な事情(修正一条の適用を認めないと裁判所による審査が困難であること、および、思想の自由市場論という帰結主義的な正当化論を採用していること)からとられたものであり、日本で参照することが適切かどうか疑問ではないかと考え、アメリカの「特殊性」を研究することを通じて人権観念の特徴を解明することを本研究の課題とした。初年度でアメリカのコマーシャル・スピーチ論の成立過程についてある程度の分析をすると同時に、その後の展開についての資料を収集していたので、本年度はアメリカについてはその資料の読解・分析を進めた。その結果、ポスト教授とサリヴァン教授の議論が私の視点からは最も示唆的であったので、この二人の議論を中心に据える形で研究を進めた。他方、この問題に関するヨーロッパの状況については、フランスとヨーロッパ人権裁判所の判例を調べた。アメリカと異なり人間の尊厳を基本価値とする人権観念をもつヨーロッパ諸国では、営利広告を表現の自由により捉えることは困難ではないかという仮設から研究を開始したが、ヨーロッパ人権裁判所では表現の自由の規定の適用を認めており、どのような理屈づけを行っているかを確認するために、関連する資料の収集を行った。特にパリ第2大学の図書館ではいくつかの博士論文・修士論文を検索することができ有益であった。
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