本来の人権は、本人の利益のために保障されるものであり、他者の利益のために保障されるものではない。後者は、人権の道具的観念であり、人権の本質に反する。しかし、憲法は本来の人権のみならず、道具的意味での人権を保障することもあり、また、憲法がそのように解釈されることもある。このことを、アメリカのコマーシャル・スピーチ理論を素材に明らかにした。アメリカの表現の自由論においては、表現を受け取る自由に焦点を当てた道具的理解が支配的であり、その理解を媒介に、表現の自由を人権としてより、むしろ「制度」と理解する傾向が強いが、日本国憲法が想定する人権観とは異なっている点に注意が必要である。
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