研究課題/領域番号 |
24683002
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研究種目 |
若手研究(A)
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研究機関 | 龍谷大学 |
研究代表者 |
中島 琢磨 龍谷大学, 法学部, 准教授 (20380660)
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研究期間 (年度) |
2012-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | 沖縄返還 / 日米安保体制 / 日本外交 |
研究概要 |
・1969年8月から9月にかけて行われた、沖縄返還後の事前協議制度に関する交渉過程を、米軍の戦闘作戦行動の問題を中心に考察した。千葉一夫アメリカ局北米第一課長が毎回の協議の詳細を記録しており、それらの文書から考察が可能となった。このアメリカ局の交渉と、9月の日米外相級協議の結果、外務省の方針(朝鮮半島有事の際の米軍出撃と、台湾海峡危機の際の米軍出撃とを分けて政治的保証の程度に差をつけ、ベトナム出撃については返還合意時の政治的保証は行わない)を国務省が受け入れていたことが分かった。この点、先行研究で指摘されていたように、国家安全保障決定覚書第13号に沿ったアメリカの目標通りに交渉が進んでいたわけではないことも分かった。 ・同年9月の外相級協議の結果を受け、米国防省・JCS首脳は、基地の使用の保証が弱すぎると結論した。米軍部から見て戦闘作戦行動の問題が日本側に有利に進んだため、米軍部は沖縄からの核兵器の撤去問題で巻き返しを図り、態度をより硬化させ、政府内での国務省との力関係に変化が生じた。アメリカとの核撤去交渉が大変難しくなった理由や、佐藤栄作首相がバック・チャネルでの最終交渉を決断した背景は、こうした米政府内の変化を踏まえて捉えなおす必要がある。 ・同年11月の佐藤首相によるバック・チャネルでの核条項の最終交渉を検討した。ホワイト・ハウス文書、キッシンジャー補佐官の電話記録、外務省文書、若泉敬氏の回想録などの照合から、佐藤の密使であった若泉が、国務省による外務省への核条項の反対提案を防ごうと試み、緊急時の核持ち込みを認めた「秘密合意議事録」と事実上引き換えに、キッシンジャーが国務省による反対提案を中止させていたことが分かった。 ・同年11月の返還合意後、外務省アメリカ局と条約局が共同主管で行った、沖縄返還協定交渉の考察を進めた。協定の米上院での承認に向けた在米日本大使館の取り組みや、那覇市内の米軍施設・区域の整理統合交渉を、公文書と元外務省関係者へのインタビューなどに基づき検討した。 ・これらを含めて、これまでの研究成果を刊行した(『沖縄返還と日米安保体制』)。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
予定していた範囲の資料の読み込みと整理作業が進み、沖縄返還交渉の過程の解明が進んだため。
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今後の研究の推進方策 |
冷戦史の中での沖縄返還の位置づけについて、引き続き検討を進める。また沖縄返還交渉の各論部分に関する事実関係の整理を進める。
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次年度の研究費の使用計画 |
関係国の外交文書資料の調査・収集費などを予定している。
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