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2013 年度 実績報告書

李想白が我が国のバスケットボール界に果たした役割に関する史的研究

研究課題

研究課題/領域番号 24700660
研究機関東京女子体育大学

研究代表者

及川 佑介  東京女子体育大学, 体育学部, 講師 (80592451)

キーワードバスケットボール / 遊戯的なバスケットボール / 競技的なバスケットボール / 李想白 / 大日本バスケットボール協会 / Jack Gardner / システムプレー / 『指導籠球の理論と実際』(1930)
研究概要

本研究では黎明期における我が国バスケットボール史研究の一端を明らかにするため、李想白が担っていた役割を考察した。
李想白の活動は組織的関与と技術的関与に別けてみることが出来る。彼らは前体制に反発する形で大日本バスケットボール協会(以下、「協会」)を1930年に設立した。協会には、規則委員、審判委員、競技委員、編纂委員があり、彼は規則委員の主任と編纂委員を務めていた。審判委員と競技委員に彼の名前はないが、彼は1936年に開催されたオリンピック・ベルリン大会で我が国初めての国際審判員として活躍し、日本代表クラスの指導にも関わっていたことを考えると協会の運営のほとんどを担っていたといえる。さらに、オリンピックでバスケットボールが正式種目になるための活動、海外のバスケットボール関係者との関わりなど、李想白の組織的関与は多岐に及んでいた。
彼の技術的関与は、当時のバイブル的存在であった『指導籠球の理論と実際』(1930)をはじめ、協会の機関誌『籠球』、大日本体育協会の機関誌『アスレチックス』・『オリムピック』など、数々の執筆活動を通して、技術や戦術の紹介を行っていたことが挙げられる。その他、自チームでのバスケットボールの指導、1933年には李想白ら協会がアメリカからJack Gardnerを招聘し、約1か月に渡り全国で講習会を開催してシステムプレーという戦術を広く知らせるなどしていた。
李想白の活動をみると先のことを見据えていたことがわかる。例えば、彼が著した「コーチの類型と進化」(『籠球研究(第7号)』1935)で彼は技術・戦術の過去と現在を踏まえた上で未来のことを記している。このように、彼の組織的関与と技術的関与により、当時の我が国の発展はなるべきしてなったと考えられる。しかし、競技的なバスケットボールが広まった裏には遊戯的なバスケットボールの姿が薄れたことを忘れてはならない。

  • 研究成果

    (4件)

すべて 2013 その他

すべて 学会発表 (3件) 備考 (1件)

  • [学会発表] スポーツ資料収集家・田尾栄一に関する一考察2013

    • 著者名/発表者名
      及川佑介
    • 学会等名
      スポーツ史学会第27回大会
    • 発表場所
      東洋大学
    • 年月日
      20131130-20131201
  • [学会発表] 日本バスケットボール史における遊戯性と競技性に関する一考察(大正13年~昭和5年)2013

    • 著者名/発表者名
      及川佑介
    • 学会等名
      日本体育学会第64回大会
    • 発表場所
      立命館大学びわこ・くさつキャンパス
    • 年月日
      20130828-20130830
  • [学会発表] バスケットボールのオリンピック正式種目決定に関する李想白とForrest C. Allen2013

    • 著者名/発表者名
      及川佑介
    • 学会等名
      東北アジア体育・スポーツ史学会第10回記念大会
    • 発表場所
      札幌市定山渓ビューホテル
    • 年月日
      20130712-20130715
  • [備考] 及川佑介のウェブサイト

    • URL

      http://oikawa.matrix.jp/

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公開日: 2015-05-28  

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