本研究の目的は、「香りが睡眠中のホルモン分泌および主観的な睡眠感に与える影響を評価する」ことにある。学術的には、従来の睡眠評価研究で用いられてきた脳波・心電図・血圧に加えて、ヒトの免疫・内分泌系の指標を評価軸として導入し、新たな睡眠評価法の確立を目指すことにある。したがって、本研究では従来の指標(脳波・心拍・血圧等)と同時に生理機能の異なる7種の唾液バイオマーカーを用いて、香りが睡眠中に及ぼす影響について統合的に評価することを計画した。 当該年度は、覚醒系の香り(ジャスミン)及び鎮静系の香り(ラベンダー)が睡眠中の心身へ及ぼす影響の検討を行った。従来、睡眠中の生化学物質の定量評価は血液検体により行われてきたが、この方法では血液の断続的な採取に伴う心身の負担が非常に大きいと予想される。そこで、本研究では独自に開発した睡眠中の微量な唾液を断続的に採取する装置を用いて、睡眠時の唾液バイオマーカーの分泌動態を評価した。 その結果、起床後30分間のコルチゾール濃度の平均値において、ラベンダーはジャスミン(p < .05)およびコントロール(p < .01)よりも有意に濃度が高いことが観察された。一方、被験者の主観的な睡眠感を反映しているOSA調査睡眠票の結果では、全ての因子において各条件間で有意な差異は認められなかった。 この結果は、就床中の香り呈示が、香りを呈示していない起床後の内分泌系において影響を及ぼすことを示唆するものであり、これは我々の独自の実験系により初めて得られた新しい知見である。コルチゾールは精神ストレスに対する人間の生理応答経路の一つである視床下部―下垂体―副腎の内分泌系(HPA系)のストレス応答ホルモンである。本研究により、睡眠時のラベンダーの呈示が、起床後のHPA系の賦活、すなわちコルチゾールの分泌を誘導していることが示唆された。
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