研究課題/領域番号 |
24700922
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研究種目 |
若手研究(B)
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研究機関 | 総合研究大学院大学 |
研究代表者 |
飯田 香穂里 総合研究大学院大学, 先導科学研究科, 助教 (10589667)
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研究期間 (年度) |
2012-04-01 – 2015-03-31
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キーワード | 国際情報交換 |
研究概要 |
当該年度は、日本のアイデンティティーと遺伝学や育種学の語られ方の関係を探るため、国内外で調査を行った。諸事情により25年度以降に計画していた調査を先に行い、1956年に日本で開催された国際遺伝学会に関する史料を米国フィラデルフィアのAmerican Philosophical Societyにて調査した。さらに、横浜市所在の木原生物学研究所図書室にて遺伝学者木原均の所有していた国際遺伝学会関連の文書も調査し、APSでは見当たらなかった史料を探し出すことができた。 国際遺伝学会関連史料の調査により、戦後日本の遺伝学者が遺伝学再建のために国内外にいかに日本の遺伝学をアピールしていったかがわかりつつある。欧米で急速に発展していた遺伝学になるべく早く追いつくという大きな目標がある一方で、日本の遺伝学者が「日本の」遺伝学や育種についてどのように語り、研究を進めたのかを現在分析している。これらの分析により科学の発展にもアイデンティティーの問題が様々な形で現れることが明らかになりつつある。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
戦後日本における育種の語られ方を明らかにすることが目標の一つであるが、そのケーススタディの一つとして国際遺伝学会に関する史料を調査し、この国際学会の準備段階や当日の展示等で日本の育種がどのように扱われ語られたのかを分析した。よって今年度の目的範囲のことはおおむね達成されたと考える。
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今後の研究の推進方策 |
現在、吉川秀男や木原均の著作を調査し、戦前から戦後1940年代~1950年代後半までの間に遺伝学に対する考えがどのように変化したのかを調べている。この研究対象に中尾佐助も加えて引き続き調査する予定である。彼らの遺伝学や育種に対する考え方が分子遺伝学の発展によりどのように変容していったか(あるいは、しなかったか)、また、日本の目指していた「動的」遺伝学が戦後どのように変容・吸収されていったのかを明らかにしたい。そこから最終的には日本の遺伝学、農業、文化をめぐる語りについて考察していきたいと考える。
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次年度の研究費の使用計画 |
まず、戦後の遺伝学者(主に木原、吉川、中尾)の書籍、研究論文、新聞記事、など多岐にわたる著作物を分析する。ほとんどの出版物は総研大にはないため、東京都か神奈川県の図書館に通う必要がある。 さらに、大阪府立大学の学術情報センターには、中尾の多岐にわたる資料が保存されており、これを調査する。この資料発掘作業のため、堺市に複数回通う予定である。また、生前の中尾をよく知る方々にインタビューを行う。 また、木原均の一次史料(書簡や日誌など)を整理・保存し、これらの史料も本研究のために調査・分析する。 以上の史料収集、整理のための旅費、謝金、物品購入が次年度研究費の主な内訳となる予定である。
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