1930、40年代の中国の辺疆政策の特質について以下の3つの成果がみられた。①内モンゴルをめぐる内政と外政の関係において、蒋介石,閻錫山,傅作義の対蒙政策はそれぞれ異なり、その背景にはそれぞれの1935年秋以降の中国の外交問題と内政問題への認識の異同が存在していた。②辺疆政策の一環として行われた西北開発においては、中央政府、地方政府、知識人、慈善事業家などが、満州事変以降の日中関係の変化から、国防の最前線地である内モンゴル西部を西北開発地域と位置付け、西北開発と中国の領土認識が結びつけられた。③戦時においては、国民政府の辺疆政策に対して、知識人の関与があり、中国社会からも強い反応がみられた。
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