本研究では1979年に西ドイツで施行された「母親休業」に代わり、1986年に「育児手当・育児休業」が導入されるまでの社会・政治過程に目を向け、家族・育児の担い手の定義や、手当・休業が認知される論理・文脈の歴史的変遷とアクターを跡付け、今日の「両親手当」に新たな角度から光を当て、その意味を再考することを目的に掲げた。 春から夏にかけて当該テーマをめぐる最新の研究状況を確認するとともに、昨年度に一部収集したCDUのヘルガ・ヴェックスの個人的な史料とSPDのレナーテ・レプシウスの党の機関紙に掲載された記事を読んだ上で、夏にボンで収集する史資料を確定する作業と注文を行い、ドイツでの作業を効率的に遂行する準備をした。この作業と並行して、『家族報告書(第1~2次)』(1968~1974年)を読み、1960年代末から1970年代前半に政治家が議会・会議で発した言説に家族をめぐる専門家の意見がどのような影響を与えていたのかを跡付けた。夏にはドイツのボンにあるCDU(キリスト教民主同盟)政治文書館、SPD(社会民主党)文書館で資料調査をした。秋以降は夏に収集した資料の読解と整理を進め、当該テーマの中における二人の政治家の役割と意義をまとめ、2012年12月に開催されたジェンダー史学会の自由報告において報告した。その際に、ヴァイマル時代の教育問題と育児について研究報告した研究者らと活発な意見交換を行い、研究の深化のための刺激を受けた。現在は4月末の当該テーマの論文提出締め切りに向け、論文を執筆している最中である。
|