本年度は、先に父蘇洵と蘇軾・蘇轍兄弟の経学解釈に見える義利観がそれぞれ政治理念として如何に奏上文等に反映されているかを分析した。更に彼ら三蘇の義利観の政治理念における反映状況が、同時代の北宋士大夫の義利観の政治理念における反映状況と比較して、三蘇の義利観の思想史的位置づけを試みた。 三蘇が活躍した時代は政治改革が実施されていたので、士大夫達の改革の優先策に着目して検証した。三蘇の義利観の政策提言に対する反映の仕方は一見異なるが、共通点は義と利を矛盾無く両立させること(義利一致)にある。他の北宋士大夫に目を移すと、慶暦の改革(仁宗期)の指導者の范仲淹は、最大の関心事は人材任用であったが、彼の義利観は財政改革おいて、国家が積極的に利を興すといった、やや功利的性格である。これは、胡えんや孫復や李覯に受け継がれている。神宗期の改革手指導者の王安石も、財政改革において国家財政の再建を優先するが、彼の義利観は、国家と民の利を一致させ、それが義であるという義利一致であり、三蘇と同じ義利一致的概念であるが、利の対象に国家も含まれている点が異なる。司馬光や程頤は利を無視してはいないが、政治的発言においては為政者による義の体現の方法を重視している。 北宋士大夫達の義利観と政治理念の関係を概観すると、特に改革期の士大夫の義利観は、彼らが唱える政治的立場や政策内容が影響して様々な様相を見せていることが判明した。さらに、彼らの義利観の相違について端的に言えば、経済的発展による商人の台頭や国家的危機の時代の中で、利を生み出す主体を何者に求め、また利をどのように算出するのかという考えの違いあることがわかる。彼らの義利観は経書解釈のみによる学術的純粋な義利観ではなく実学的性格をものであったといえるだろう。そして、三蘇の義利観もそのような時代要請に応じて構築された概念であったといえる。
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