平成26年度の研究は、17世紀後半から18世紀にかけてのフランスにおける「信仰分析analysis fidei」をめぐる論争の展開と意味を分析するものであった。おもな対象は、「教会の講和」(1669)以後のカトリック-プロテスタント間の論戦と、「良心例事件」(1701)以後に再燃したジャンセニスム論争である。前者の検討により、しばしば聖体論争に還元されるこの論争がもう一つの重要な論点として信仰分析論争を内包していたこと、そして、それがジャンセニスム論争を別のかたちで受け継ぎながら理性と権威の関係をめぐる注目すべき議論を提供していたことが示された。後者については、反ジャンセニスムの立場から旺盛に筆をとったフェヌロンの教書の内容と余波が考察されたが、それにより、「恭しい沈黙」をめぐる是非をめぐる思想的対立が、不可謬性論の精緻な理論化を伴って18世紀に受け継がれていたことが明らかにされた。 研究期間全体を通じて、近世フランスを中心とした「信foi」の観念をめぐる思想史が浮かび上がった。それは、次の二点への注目を起点としてなされた。すなわち、トマス神学の註解作業を続けていた16世紀ヨーロッパの神学者が「信じる」という行為の根拠を問い始めたのを契機に近世ヨーロッパに生まれた「信仰分析」あるいは「信仰解析resolutio fidei」の試みが、予期せぬ形で17世紀のジャンセニスム論争に繋がるものであったこと、そして、それが形をかえて対プロテスタント論争に受け継がれ、さらには18世紀のジャンセニスム論争にまで継続されたことである。こうした信仰の認識論的側面に加え、その道徳的実践にかんする側面として聖体会の活動が考察され、それが「ジャンセニスム」への王権の対応を説明する論点として捉え直されたことも、本研究の重要な成果の一つに数えられる。
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