本研究は、ドイツにおける主に18世紀後半から19世紀前半にかけての鍵盤楽器奏者及び鍵盤楽器教授の多様性を明らかにすることが目的であった。そのために、鍵盤楽器教本の収集、鍵盤楽器教授が行われた教育施設、新聞記事を主要な着眼点として研究を進めることとしていた。 鍵盤楽器教本の収集については、印刷公刊されたものに加えて従来着目されてこなかった教授内容を含む手稿譜の収集に重点を置いた。このような手稿譜は、印刷された教本と違って実際の教授活動の経過が如実に反映されており、その実態を知るのに貴重な資料である。そこからは鍵盤楽器教授単体で行われるというよりも、多種多様な教授が同時的に行われ、鍵盤楽器教授はその中の一つに過ぎないことが明らかになった。また、この一環で『バイエルピアノ教則本』の自筆譜およびその出版後の経過を示す資料を発見し、研究計画当初にない大きな副産物となった。 教育施設での鍵盤楽器教授については、とりわけ当時の教員養成所に焦点を当てて各地の文書館にて資料を調査した。初等学校教員を養成するこの施設では、各楽器に専門技能に特化してゆく当時の大方の鍵盤楽器教授の方向性とは異なり、18世紀までのいわゆる教会音楽家型の総合的な教授が、専門性の高さはともかくも、残存してゆく状況を見ることができた。つまり、ピアノだけではなくオルガン、通奏低音、弦楽器、場合によっては即興演奏などの総合的かつ多様な教授内容である。 新聞記事の調査については、鍵盤楽器を含む幅広い音楽教授の記事についての調査を行った。特に19世紀は雑誌の発行が盛んになり、大量の音楽教授に関する記事が書かれている。その中には、単純に奏法・技法に関するものもあるが、一般教育の中での音楽教育の意義、特に若者に与える影響などが議論されており、鍵盤楽器教授がいわゆる専門教育のみならず、多様に受容されていることが示唆された。
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