本研究の目的は、アジア・太平洋戦争期の日本において、①総力戦態勢を構築・強化するにあたって日本の伝統楽や芸能(邦楽)がいかに活用されたか、②日本文化を対外的に宣伝するにあたって邦楽がいかに活用されたか、それぞれを明らかにすること、そこで得た知見をもとに③同時期の日本人の邦楽についての観念を考察すること、さらに④同時期の日本人の邦楽観と、同時期の日本人の西洋発祥の音楽(洋楽)についての観念を比較・検討し、当時の日本人が音文化全般に対していかなる観念をもっていたか考察することをである。 研究期間の3年目(最終年度)にあたる平成26年度は主に(a)東京音楽学校による邦楽教育、(b)近代日本人の「能楽受容」、(c)対外的文化宣伝における邦楽の活用の3領域において研究を進めた。 (a)特に東京音楽学校の1936(昭和11)年の邦楽科設置に至る経緯に注目し、邦楽科設置が明治期の音楽取調掛以後の邦楽研究・教習の実績があった上に、1928年着任の乗杉校長の意向が、当時の政治的な動向に後押しされることにより実現したことを明らかにした。 (b)近代化する日本社会において「能楽」がどう位置付けられたか検討した。その結果、「能楽」は、庶民が自ら楽しむ芸能(娯楽)から、集中的・構造把握的な鑑賞の対象(芸術)へと変化し、それに並行して日本人が「能楽」を「伝統芸能」として自文化に同一化していくという、いわば日本人による能楽「受容」の経緯があったと概括した。 (c)昭和初期の日本とタイ王国の間の文化交流事業のうち、邦楽を用いたものについて明らかにすることを目的として、その前提となる文化交流事業の概要の正確な把握に努めた。特に事業実施機関・団体とその活動について一次資料にもとづく研究をおこない、両国の思惑にはそれぞれの政治情勢が強く影響していることを指摘した。
|