最終年度は、市立函館博物館所蔵「アイヌ風俗絵馬」(安永4年(1775)奉納)、および小樽市正法寺所蔵「義経入夷之図」(明治30(1897)年)、その他アイヌ絵の調査を実施した。「アイヌ風俗絵馬」は、秋田県内で関連資料の調査を実施し、絵馬に記載された奉納者名「藤原政展」が、出羽国由利郡を治めた六郷氏の系譜に連なる六郷政展である可能性が高いことをつきとめた。 研究期間全体を通して、筆者は18点の義経蝦夷渡伝説図を一覧表に整理し、以下の見解を得た。 まず、管見の義経蝦夷渡伝説図は、絵の内容によって、大きく三つのグループに分けることができる 。一つ目は、船に乗り込んだ義経一行が蝦夷島に渡る場面を描くもの、二つ目は、蝦夷島に渡った義経一行と蝦夷人との合戦を描いたもの、三つ目は、義経もしくは義経主従とかれらにひれふす様子のアイヌを描いたものである。三つ目のグループは、北海道に伝わる絵馬や、北海道を訪れた松浦武四郎など、北海道との関わりが深い作者によってつくられたと推定できるものが多く、アイヌの描写はアイヌ絵の特徴と一致する場合が多い。 さらに、この三つ目のグループ(義経に敬意を示すアイヌを描いた図)は、義経蝦夷渡伝説ではない他の画題を種として定型がつくられ、展開されていったと考えられる。源為朝と疱瘡神を描いた図や、菅原道真と在地の人々を描いた図など、義経以外の伝説的な人物を描いた図を参考に制作されたのち、数々のバリエーションが生み出されていったと推定される。 これまでの調査と上記の見解を考え合わせると、義経蝦夷渡伝説図は、従来指摘されている「蝦夷征伐」の主題に限らず、疱瘡除けなどの日常生活に関わる祈願と結びついていた可能性があるといえる。
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