1880年代後半から1900年代の文学者や史論家たちの言動を追うことで、八犬伝や政治小説を仮想敵とする「写実」理念がどのように形成されたかを考察した。 調査の対象としたのは、『東京経済雑誌』『六合雑誌』『女学雑誌』『日本評論』など論壇の主要雑誌、『国民之友』『国民新聞』『十二文豪』等の民友社の出版物、『新小説』『文学界』等の文学雑誌、また坪内逍遥や内田魯庵など文壇人たちの発言である。 この調査を通して理解されるのは、民友社の言論活動の革新性である。特に徳富蘇峰の発言は、自由民権運動期の言論を大きく相対化する視野を提供したものとして特筆される。蘇峰は『国民之友』で政治論説のみならず、文学評論、感想録、史論、人物論を陸続と発表し、自由民権運動期に自明視されていた英雄中心主義や功利主義的な人生観に疑義を突きつけた。それが政治と文学の双方に関心を持つ国木田独歩のような青年たちに強い感化を与えるものだったことは複数の資料から裏づけられる。 従来の研究は蘇峰や民友社にあまり目を向けず、坪内逍遥周辺の功績を特別視する傾向にあるが、本調査はそのような理解の再点検に繋がるだろう。 同時に本調査から浮かび上がるのは、明治中期の史論・人物論の重要性である。この動向の中心にいたのが蘇峰であり、多くの文学青年たちもこの時期に史論・人物論を試みている。この動向は、例えば後の高山樗牛の言論活動を用意するものとして重要と考えられる。
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