日本中世後期における、東国(関東)と西国大内氏勢力圏との交流関係を摘出してみると、関東公方の足利氏と西国大名の大内義弘とが政治的かつ軍事的に結び付き始めたという、軍記『鎌倉大草紙』などに書き記される出来事を早期の例として、関東公方の補佐役だった上杉憲実が大内氏を頼ったという遍歴や、大内氏の寺で作成された『一乗拾玉抄』の東国への運搬、九州の筑紫氏を足利直冬の子孫とする説が東国の軍記『結城戦場記(永享記)』に書き記されていることなどに、文化的な結び付きも見出すことができる。 架蔵写本を含む『鎌倉大草紙』の伝本調査や本文研究、その他の研究活動の多くは、研究課題の追究に対して間接的に役立った。
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