研究課題/領域番号 |
24720119
|
研究種目 |
若手研究(B)
|
研究機関 | 国文学研究資料館 |
研究代表者 |
丹羽 みさと 国文学研究資料館, 研究部, 機関研究員 (90581439)
|
研究期間 (年度) |
2012-04-01 – 2015-03-31
|
キーワード | 福地桜痴 / 福地苟庵 / 幕末明治の文芸 / 知的ネットワーク / 長崎の文化 |
研究概要 |
文芸界・歌舞伎界と政界を接近させてきた福地桜痴に関して、本年度は特に、出生地である長崎に関連する研究を行ってきた。 日本近代文学館には、桜痴の父親である福地苟庵の漢詩文や俳句などが収蔵されている。中でも、安政五年に郷里長崎を出立した直後から、欧州へ旅立つ文久元年まで桜痴に送られた書簡十通は、上京直後の桜痴を知る事が出来る貴重な資料である。研究成果「長崎人、福地桜痴の上京――苟庵の書簡から――」は、本書簡をもとに桜痴の活動初期について考察したものである。出立直後の書簡には、苟庵が長崎で知遇を得ていた通詞の森山多吉郎や咸臨丸の艦長役矢田堀景蔵、水野筑後守忠徳などへの対応が記されている。江戸での寄宿先も彼らと重なっており、苟庵の人脈が桜痴の上京を可能にしたことがわかる。彼らの内、最も桜痴の活動に関与した人物は森山である。桜痴は森山のもとで英語を学習し、出世の糸口としたが、東北大学所蔵『続囲記』などを調査したところ、海外文化への情報や予備知識は、長崎在住の頃から既に苟庵によってもたらされていたことがわかる。 また書簡には、桜痴の仕官を喜ぶ苟庵の様子が記されている。幕府や藩への仕官が叶わず、養子相続が続いていた福地家では、桜痴の登用は個人の問題ではなかった。明治以降、桜痴が様々な形で政府との関係を維持し続けた背景には、福地家代々の希求と価値観の影響が大きい。 書簡には、多弁や美服、放蕩などに関する桜痴への忠告も記されている。それらは終生改まることがなかったが、東上後の桜痴の放蕩は、多方面に及ぶ活動の主要な土台となっていった。特に馬十連への関わりは、九代目市川団十郎や仮名垣魯文などと出会う契機となり、演劇改良運動や新聞メディアへの隆盛へとつながっていく。 これらの研究によって、桜痴の東上や仕官、海外文化への関心といった活動初期の状況について、新たな見解を提示することが出来た。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成24年度には、福地桜痴の教養形成や江戸後期の長崎の文化状況について考察し、桜痴の学問と文芸の根底、またその方向性への理解を目指した。 これらについて、日本近代文学館所蔵の桜痴の父、苟庵の書簡や漢詩文、俳諧などの一次資料、また早稲田大学所蔵の『星泓詩草』等に見られる桜痴漢詩文の添削、東北大学所蔵の『続囲記』といった苟庵からの聞き書き、長崎県立歴史博物館所蔵の『福地信世』の家系図等を調査し、苟庵の交友関係や思想等が、桜痴の価値観や教養に影響していたことを確認した。また長崎の実地調査により、苟庵の墓所をはじめとする桜痴関連の地域性と、旧宅との位置関係を把握することが出来た。 彼の交遊圏を明らかにする上で、重要な位置を占める桜痴の序文や付記等についても、調査を開始している。これらは従来看過されてきた研究領域であるが、桜痴に関して非常に有意義な情報をもたらすものである。特に桜痴の序は、大槻盤渓作品に多いことを確認した。また、これまで山県有朋の『葉桜日記』に桜痴の頭注が記されていることは知られていたが、日本近代文学館所蔵本には桜痴直筆の奥書があることを発見した。これにより頭注が付与された出版経緯と山県との親交が明らかになり、政界における桜痴の活動に関しても新たな知見を得ることが出来た。 また香川大学蔵『大英字典』という桜痴編纂の英和辞典稿本を調査した。桜痴周辺の戯作者や落語家などは、彼の訳を介して翻案作品を発表していたため、その具体的な根拠のひとつとなるであろうという目算であったが、本資料掲載語句は、部分的に作品の日本語訳と一致が見られるものの、未完であった。桜痴と戯作者等の英語教授の関係を、本資料から見出すことは出来なかった。 これらを以て、本研究はおおむね順調に進展しているとする。
|
今後の研究の推進方策 |
桜痴関連作品の情報収集のため、長崎大学の武藤文庫や日本近代文学館の調査を引き続き行い、序文を含めた桜痴の刊行物等をデータ化していく。特に桜痴の序文や書簡、桜痴に関わる出版社名などから、交友関係と諸作品への関与を考察し、幕末明治期の文芸における桜痴の立場と影響を明らかにする。 桜痴の遊興はつとに有名であるが、花柳文化圏、特に馬十連が幕末明治の文芸にどのような影響を及ぼしていたのか考察していく。馬十連は、豪商の細木香以や、演劇改良運動を桜痴と共に推進した九代目市川団十郎、着道楽であった桜痴の反物の意匠を任せていた竺仙等と出会う重要な場である。馬十連をよく知る大槻盤渓や如伝、仮名垣魯文や山々亭有人等の諸作品から、桜痴における馬十連の意義について検討する。これまで看過されてきた桜痴の馬十連への関与とその実証的な研究は、近代文学の黎明期を明らかにする上で欠かせないものである。 また、桜痴は三度の渡航経験を持つが、日本近代文学館所蔵の『仕途日記』や、桜痴と同時に出立した人々の記録などを検討し、これまでの桜痴研究においてもっとも空白となっていた部分、即ち桜痴の渡欧の具体的様相を解明していく。 桜痴の父である苟庵関係資料の調査も行う。桜痴の著作の中には、苟庵と親交があった高島秋帆等に関する作品もあり、桜痴の漢詩文添削者が苟庵の友人であるなど、桜痴の文芸に関して苟庵の影響は大きい。苟庵について調査することは、桜痴の教養体系を知るためにも、活動の根幹を明確にするためにも、不可欠な作業である。
|
次年度の研究費の使用計画 |
福地桜痴関係資料のデータ入力作業補助のために、人件費・謝金を計上していたが、国会図書館や都立中央図書館、近代文学館や国文学研究資料館、長崎県立図書館や長崎県立歴史博物館などに点在する資料データの収集自体に集中していたことかとから、助成金の差額が生じた。 次年度はデータ収集のための旅費を引き続き行うとともに、入力作業にも取りかかるため、差額は翌年分の人件費・謝金として計上する。 また次年度の研究費の利用には、各地に収蔵されている福地桜痴関係資料の調査のための旅費や、データ収集整理用の設備備品費や消耗品費、最新の研究動向や関連事項を知るための書籍購入費等のその他、が含まれる。
|