申請時には、娯楽形態として現代に残っていないため関連資料を見つけることが困難ではないかと思われた活人画だが、研究期間を通じて思いがけず多くの資料を収集することができ、流行の実態についても文学表象における特色についても、興味深い事実が数多く明らかになった。 まず流行の実態についてである。活人画の起源は中世ヨーロッパで新しい君主を迎える際、市民が歓迎の意を表すため行った催しにあるが、近代に入ってからは上流階級の私的な娯楽として広まっていった。これがヴィクトリア朝イギリスにもたらされて徐々に大衆化し、世紀末にかけて劇場やミュージックホールで頻繁に演じられるようになった。その後映画の登場により人気は衰えていくが、イギリスでは少なくとも第二次世界大戦中まで公の場で上演されていた記録が存在する。また、ドイツやアメリカでは現在でも活人画イベントが定期的に催されているだけでなく、映画や現代美術にもその技法はしばしば取り入れられており、活人画は「死滅した娯楽形態」ではなく、写真・絵画・演劇・文学の各領域を横断するユニークな芸術として、現代でも珍重されていることが分かった。 活人画を巡る最も興味深い事象としては、常に「芸術か猥褻か」の問題がつきまとい、時に検閲の対象とされてきたことが挙げられる。これは活人画の素材に観衆の誰もが知る著名な絵画、中でも女性の裸体画が選ばれることが多かったためである。これを受け、文学作品中でも活人画の描かれ方は非常に両義的であることが分かった。すなわち、活人画の場面はそれを演じる女性が持つ魅力や創造性、内的願望を示唆すると同時に、その女性が性的に搾取される可能性や悲劇的な出来事を予兆する、物語の転換点を成しているということである。この傾向はイギリスの小説だけでなく、19~20世紀に書かれたアメリカ・ドイツ・フランス各国の文学作品にも確認することができた。
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