平成26年度には、過年度の課題として計画しながら着手できなかった項目、すなわち、『白鯨』におけるエイハブ船長の片脚の切断と義足の装着についての分析と『ビリー・バッド』での水夫ビリーに対する養護についての分析を行った。また、『白鯨』における男性性の表象に関して平成24年度に行った学会発表を研究論文として発表をした。 まず『白鯨』に関しては、ピークオッド号の船長として君臨するエイハブの「男らしさ」がどのようなものであるかを、彼の身体の有り様にあらわれる生と死の往還、彼の精神状態にあらわれる正気と狂気の往還、船長としての彼の言動にあらわれる階級の往還を通して分析した。片脚を失った「障害者」であるエイハブは、自立を旨とする「男らしさ」をめぐる規範に従うならば「男らしさ」を欠くことになるが、相反するものに同時に身を置くことによって独自の「男らしさ」を構築しているということを示した。 次に『ビリー・バッド』に関しては、商船人権号の船員たちがビリーに示した情愛、ベリポテント号の先任衛兵語長のクラガートがビリーに示した関心、ベリポテント号の艦長ヴィアのビリーに対する関心とその否定を通して、男の男に対する関心が近代社会における「男らしさ」の概念をどのように撹乱していくのかという点について考察を加えた。ビリーを母のように世話する人権号の船員たちはその行動によってジェンダー規範を揺るがし、クラガートはビリーに対する欲望を内包させた敵意によっていわゆる「ホモソーシャル・パニック」をあらわし、ヴィアはビリーに対する関心を強く否定することによってジェンダーのパニックを見せていることから、この作品は、19世紀の「男らしさ」の規範を攪乱させるものとなっていると言える。
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