筆者は、日本中世禅林における杜甫の受容について、①いずれの中国注釈書及び五山版を利用していたのか、②どのように解釈していたのか、③消化したものをどのように自身の詩文に詠出していたのか、と三つの領域について研究を深めている。 本年度は、①については、内閣文庫などに所蔵される五山版『集千家註批点杜工部詩集』『集千家註分類杜工部詩』を調査した。 ②については、慶應義塾図書館に所蔵される『大堂供奉帳』の紙背に書かれている杜詩の抄を翻刻し、公表した。『大堂供坊帳紙背杜詩抄』は『杜詩続翠抄』や『杜詩抄』と全く別種・別系統の抄物ではなく、一定の関係を有する抄物と考えるべきである。今後、『杜詩続翠抄』や『杜詩抄』、さらに五山版『集千家註批点杜工部詩集』等の書き入れ等と比較することによって、新たな点が解明される可能性が示唆されていると言えよう。 ③については、中期(南北朝時代末期から応仁の乱頃まで)の禅僧の詩文集において、杜甫が禅とどのように関連して詠出されていたかについて論じ、公表した。後期(応仁の乱以降)になると、杜甫と禅との結びつきが強くなり、禅的要素が杜甫および杜詩に含まれることを直接に詠出するようになる。しかし、中期においては、「禅熟すれば詩も熟す」という文学観が浸透し、この文学観を広めるため、杜甫が寺院で詠んだり、賛上人や巳上人と交流したことによって、優れた作品を創出し得たことを示すことが多く、直接に杜甫と禅を結びつけない。これは、得道修行を積まない者に杜詩中の禅境は感得できないことを示すためでもあろう。
|