本研究の目的は、日本イエズス会の日本語の規範性について、新出キリシタン版『ひですの経』を対象として再検討することにある。日本語資料としてのキリシタン版がもつ規範性は、出版を重ねるごとに成長し徹底するという顕著な特徴をもち、このことはキリシタン版の出版母体である日本イエズス会の日本語学習の成果が反映されたものとして広く認められてきた。ところが、キリシタン版としては末期である1611年に出版された『ひですの経』は、日本布教の情勢悪化を受けて随所に不統一、不完全な言語的特徴を示しており、規範性の成長と徹底という統一的観点を裏切る特徴が多い。 本研究は『ひですの経』の言語的特徴が何に由来するのかを解明するため、日本語資料としては顧みられることが少なかった日本イエズス会の写本(日本イエズス会コレジヨ(学校)の『講義要綱』および不干ハビアン『妙貞問答』)に注目し、印刷本である『ひですの経』と比較した。具体的には、テキストの全文入力によって検索と比較を容易にし、文法、語彙、表記の各特徴について細かく検討していった結果、両者は多くの点で従来のキリシタン版とは異なった特徴を共有することが判明した。これまで日本イエズス会の日本語の規範性とされてきたのは、日本イエズス会の公式な出版物であるキリシタン版の日本語であり、写本にはそれが及んでいない。このことは、日本イエズス会の言語規範が、印刷本の出版にあたって整えられた部分を多く含んでいたことを示している。 『ひですの経』が日本語の規範性に不統一な特徴を示すのは、校正の不徹底により、日本イエズス会で流通していた日本語の水準が現れたためで、それは公式性の低い写本の日本語にも確認できる。『ひですの経』はいわば「印刷された写本」なのであって、日本イエズス会の日本語の規範性は、書物を印刷するという行為と不可分な特徴をもつものであった。
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