本研究は、日本で生まれ育ち、成人してから韓国に渡った「在日コリアン」の日本語教師(以下、「在日コリアン」教師)たちの日本語教育を中心としたライフストーリーから、教師たちの経験と意味世界を捉えるとともに、旧宗主国のことばを「母語」とする人々が旧植民地においてそのことばを教えることの意味を明らかにし、韓国の日本語教育の歴史を新たな視点から描くことを目的としたものである。研究期間内に(1)韓国の日本語教育、在外同胞、帰還同胞に関する論考や政策文書の収集と分析、および、(2)「在日コリアン」2世・3世の教師25名へのライフストーリーインタビュー調査を実施した。 「在日コリアン」教師たちが韓国で居住するようになった経緯や理由は様々で、日本語教師という職業に対しても、留学費用を賄うための手段として捉えている者から、慣れない韓国社会での適応・参入を図っていくための一つのきっかけとして捉えている者、日本語を使用することが難しかった時代に日本語を思う存分使用し、心の平安を保つための場を確保するためのものとして捉えていた者など非常に多様性に富んでいた。しかし、教師たちの多くが抱える困難や葛藤にはある一定の共通性を見出すことができた。それは、日本語のネイティブスピーカーだが、国籍・血統的には日本に属さず、<言語=国籍=血統>の一体化を兼ね備えていない属性のために、日本語教育におけるポジショナリティーに困難や葛藤を伴うといったものであった。より「正統なネイティブスピーカー」として日本人が評価されてしまうというネイティブスピーカー内部のヒエラルキーの存在と、日本語の評価に話者の所属が大きく関わる現実を示すものであり、ある国籍や血統をもつ者にその言語の正統性を付与してしまう「単一性志向」が言語教育においても見られることが明らかとなった。
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