本研究は、豊臣政権期におこなわれた検地を集成した一覧表を作成するとともに、特に文禄・慶長期を対象に政治史的分析を行なうことを目的とした。 まず第一の目的である検地の一覧表については、全国の最新の検地研究を網羅的に参照することで、検地の実施内容・期間・担当者・目的などの情報を集積し、1960年代に先行研究が作成したものを大幅に増補・修正した表を作成した。この表は今後の検地研究の基礎データとなるものであるため、現在いずれかの媒体での公開に向けて準備している。 二点目の文禄・慶長期の検地の政治史的分析であるが、従来の研究では豊臣政権が自身の方式による検地を全国にくまなく実施することを目指していたとし、同政権の前期である天正年間の検地を経て、後期の文禄・慶長年間では検地方法が完成して全国に徹底されていくという見方をしていた。それに対して本研究の調査の結果、文禄・慶長年間の検地について、政権直属の奉行が行なう検地は改易や国替などにともなって実施される場合が多いこと、大名領に政権の検地奉行が入る場合は両者の共同であることが多いこと、大名が政権の命令が無くとも代替わりや土地相論・年貢増などの理由で独自に検地を行なうことも多いことなどが明らかになった。特に国替は検地の契機になることが多く、中世から続く代替わり土地調査の一環に位置づけられる。 以上により、豊臣政権の方式による検地が全国に広がった理由は、偶発的契機や大名自身による検地方式の摂取といった要素も強かったことが明らかになり、強制や介入といった要素を強調することはできないと思われる。
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