本研究は、中世禅宗寺院領の展開の背景の一つとして、荘園における生産活動、とくに農業についての知識を禅僧がいかに共有・蓄積していたかを明らかにしようとするものである。具体的には、禅宗寺院内で行われた漢籍・禅籍の講義に着目し、その講義記録である「抄物」を史料として活用して典籍受容の様相を広く追うことによって、禅僧の知識形成の過程を考察するものである。 研究期間を延長した本年度においては、前年度後半に新たに得た知見をもとに、岡山県の禅宗寺院における知識関連史料の調査を行った。また、禅宗寺院にとどまらず、顕密系寺院における知識伝達関連史料の調査も行い、禅宗寺院におけるあり方との比較を行った。なお、撮影史料のうち所蔵者の承諾が得られたものについては、順次、史料編纂所図書室において写真帳もしくはボーンデジタルの形で閲覧公開に供している。さらに、史料編纂所の所蔵する禅宗関係史料(『文明明応年間関東禅林詩文等抄録』ほか15点)についてデジタル化を行い、画像を所蔵史料目録データベースから公開した。 こうした調査を踏まえて、本年度の研究においては、農業知識の基礎となる計算能力を禅僧がどのように習得しているかという点について十四世紀の禅僧中巌円月を事例として考察し、また農業知識に付随した農事歌の知識が十五世紀の五山禅林や公家社会にどのように受容されていったかという様相についても考察を行った。また、禅宗寺院における漢籍・禅籍の講義そのもののあり方についても概観し、この時期のあらたな儒学の潮流である宋学の受容が、典籍そのものの受容にとどまることなく、農業知識やそれに隣接する本草・医学のような科学的知識、農事歌の延長線上に位置する芸能・文学の知識など、様々な方面へ展開していっていることを明らかにした。
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