本研究は、1946年から54年にかけて行われた昭和天皇の「戦後巡幸」に着目し、宮内庁の政策決定・メディア対策の分析を通して象徴天皇制の支持基盤の形成を考察した。 初期は、天皇の戦争被害者への慰問という明確な目的があり、民衆に話しかける天皇は好意的に受容された。しかし、次第に規模が拡大してくると、多額の行幸費用などが批判の対象となり、中断に追い込まれた。再開後は、宮内庁は政府に従属して行幸を運営するだけの機関となり、天皇は反共政策などに政治利用されることが多くなったが、露骨な政治利用への反発も強く、天皇が親しみを感じさせる「人間」として認識されることが国民からの支持に不可欠な要素となっていった。
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