研究課題/領域番号 |
24720305
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研究種目 |
若手研究(B)
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研究機関 | 明治大学 |
研究代表者 |
山田 彩起子 明治大学, 文学部, 講師 (80573956)
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研究期間 (年度) |
2012-04-01 – 2015-03-31
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キーワード | 女性院宮の女房 |
研究概要 |
中世前期の女院・后(以下、両者を総称して「女性院宮」の語を用いる)づきの女房の職掌や序列ひいては存在形態について調査を始めたが、その大前提として、「そもそも女性院宮づきの女房はどういう経緯で成立したのか。律令制下の女官制度が変質し、律令制下の女官のうちの上層部が女房として天皇の身近に仕えることになったのは知られているが、そこからさらに女性院宮づきの女房はどのように成立したのか。そして序列はどうであったか」という問題を解決する必要が生じた。 そこでまず、女房特に女性院宮づきの女房が成立した経緯を9世紀に遡って調査した。9世紀前半段階では、天皇の妻后(すなわち皇后)が中国のスタイルに倣い、夫帝が表で男官を統率するのと対なる存在として後宮統括者となり、女官や皇后以外の天皇配偶者達の頂点に君臨していたが、母権の強い日本では中国のようなスタイルは結局根付かず、政治力を持ったのは妻后よりも母后であった。そして9世紀前半から10世紀前半まで約90年間、妻后が不在で母后が内裏の後宮に住まうことになった。以上が先行研究で指摘される9世紀の妻后と母后であるが、妻后と違って天皇と対なる存在にはなれない母后は、政治力は握っても後宮統括者になることはできず、後宮女官のうち母后専属の者(このうち、天皇づき女官の上層部の者と同様に典侍や掌侍のポストにあった者が女房と考えられる)とのみ主従関係を結び、ここに女性院宮づきの女房が成立したと考えられる。 なお、女性院宮の女房の序列は当初はポストによって形成されていたが、『紫式部日記』等を見ると、11世紀初頭頃には、ポストよりも出自階層による序列が始まっていたことがうかがえる(例えば、受領層出身者が公卿層出身者より高いポストに就いていても、身分序列を端的に示す車の順番等は公卿層出身の者が先であったりする)。 この現象は中世前期にも引き続いて見られる現象である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
中世前期の女性院宮の女房について研究する大前提として9世紀以降に女性院宮の女房が形成される過程の調査に時間がかかった。しかし、中世前期の方に関しても、女房の序列や職掌を示す史料を概ね集積しているので、今年度中に前者の調査結果共々まとめられる見通しである。
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今後の研究の推進方策 |
女性院宮のうち天皇や院の配偶者である者が女院や后となるきっかけは、当然天皇や院との婚礼にある。彼女達のスタートラインとも言える婚礼に、貴族社会がどのように関与していたか(婚礼費用の拠出のあり方や、婚礼に奉仕する女房達の具体的な役割等)についても調査することにより、女性院宮文化圏が形成される土台部分を描き出したい。これは当初は予定していなかった課題であるが、ここを明確にすれば、女性院宮と実家との関わり方・他の貴族との関係・女房との関係等の解明の助けとなると考えられる。
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次年度の研究費の使用計画 |
当初の予定では史料調査を平成24年度に2度行う予定であったが、1度で済んでしまったことが平成25年度にまわす使用額が出た理由と考えられる。しかし平成25年度は、当初予想していたよりも、研究に必要な書籍が多く刊行されているので、そちらに「次年度(25年度)使用額」を充てるつもりである。
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