(具体的内容)日本の植民地政策史は、戦前は主とし開発のための行政機関による参照材料として用いられてきた。その一方で矢内原忠雄を代表とする植民地への政治的差別への批判も並立していた。戦後の植民地史も評価方法は二項対立だった。本研究では、植民地支配を評価する上で、経済的評価でもなく矢内原らの批判的評価でもない、台湾人による自主的な構想があったことを発見した。 (意義)本研究では、植民地政策史の盲点である当事者による植民地政策の対案提示という、抽象的な独立論や自治論ではなく、現実的な課題解決の歴史があったことを発見した。その運動の中心人物として、日本内地へ留学し、民族運動を展開していた林献堂を支えた楊肇嘉という人物の重要性を見出した。楊肇嘉は早稲田大学政経学部専門部を卒業し、その後も日台を往復しながら自治運動のネットワークを構築した中心人物である。楊肇嘉は財政的にも人的ネットワークの結節点となるだけでなく、早稲田大学時代の恩師である浅見登郎教授や、永井柳太郎などの植民政策学を吸収、消化し、台湾地方自治の対案を総督府や本国政府に要求した。台湾地方自治連盟の政策提言活動は、2年前から台湾中央研究院台湾史研究所で公開され、本研究ではいち早く活用している。 (成果公開)楊肇嘉による地方自治運動の概略は、「台湾自治の指導者「楊肇嘉」と早稲田―学問と政治の融合が生み出す自律的思考」『留学生の早稲田』(早稲田大学出版部 2015)として公刊している。また2016年度内にも同出版部より『植民地台湾と自治 自律的空間への意思』として公刊する予定である。同書は、日本近代の植民政策学の継受を整理し、楊肇嘉らの植民政策は、日台人共生のコスモポリタン的な植民政策であったことを論じる。
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