西洋列強の外圧がアジアに迫りつつあった江戸時代の後期、幕府や諸藩の為政者は中国(清)や朝鮮半島(朝鮮王朝)における事件情報を求めた。その情報収集には対馬藩の出先機関である倭館に赴任した対馬藩士が当たった。対馬藩は自藩にとっての利害得失を考慮しながら、その情報を幕府に提供し、または自藩内に留めた。そうした藩という組織の動きと同時に、藩士は自身と思想を同じくする他藩士と情報交換を行った。長崎の出島からの情報と同様に、対馬(倭館)からの情報は幕府・諸藩にとって重要であった。対馬藩の藩政史料のうち、同藩の倭館で作成された事件情報の報告書と幕府への届書の双方の検討から上記のような結論を出した。
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