本研究は,前期ローマ帝国における皇帝権力と都市の関係を分析するために,イタリア都市のアリメンタ制度(少年・少女の養育制度)の運用を指導・監督したアリメンタ長官(praefectus alimentorum)と,しばしばそのアリメンタ長官職を委嘱された街道監督官(curator viarum)に焦点を当て,帝国官僚による都市自治への関与がいつ,どのようにして始まったのかを探ろうとするものであった。 本研究はまず,アリメンタ長官とイタリア都市の関係に関する分析に着手した。従来の研究は,アリメンタ制度の目的に議論を集中させてきた。まず,少年・少女を養育する貧しい家庭の救済や,アリメンタ基金から低利で資金の貸与をうけていた中小農民の保護が目的であったとする説もあるが,これらの説は今日では支持されていない。近年の研究では,皇帝はアリメンタ制度を通じて,臣民の「父」として自己を表象しようとしたとする説が提出されている。しかしこの近年の研究は,皇帝政府が発行したコインや小プリニウスの『トラヤヌス頌詩』といったそれ自体イデオロギー性の強い史料を用いた研究であるため,そこからイデオロギーの喧伝という側面が抽出されるのは当然の帰結である。 したがって,アリメンタ制度に関しては,碑文などの史料を用いて制度運用の実態を精査する必要性がある。平成25年度は,この作業に着手した。皇帝権力とイタリア都市の関係という観点からアリメンタ制度について考察するならば,アリメンタ長官が都市の自治にどのように関わったのかについて証言を残している碑文は少ない。しかし,アリメンタ長官が管轄下の都市の監督官(curator rei publicae)を兼務している事例もあることなどから,アリメンタ長官は都市の自治に一定程度関与していたと考えられる。この問題に関しては,来年度に論文を発表する予定である。
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